茶室
null²の茶室は、日本の伝統的な茶の精神や曼荼羅的空間の概念を取り入れている。建築全体が茶的な精神性と日本の美学に接続されており、それを計算機自然文明の文脈で再定義している。大阪という土地にちなみ、金茶室をモチーフとした金色のロボットアームが膜を動かし、伝統とテクノロジーが交差する象徴的展示となる。

コロイドディスプレイ
2012
3Dプリント, 鉄, レーザー, 駆動回路, 木材
物質と映像について探求を続けている. シャボン膜の表面に朧げに映し出される物質的な映像は, 超音波振動によって透明な薄膜を振動させて得られる拡散状態と映写機の光によって表現されている. 物質的で不完全であるが, 有機的に輝く胡蝶の像だ. シャボン膜のような透明な薄膜は光が透過するため, 映像を投影することができない. 超音波でその光を高速に拡散している. この作品は触れれば消えてしまう物質的な脆弱性と, 薄さ1マイクロメートルに満たない薄膜の上で超音波振動と光の出会う場所でのみ描かれるという特殊性の上に成り立つ. 映像という音と光によるメディアを再考し, より物質性を持った映像表現への探求. 反射と光, 低解像度と高解像度, 液体と固体, 透明と拡散, 物質と映像の間をまたがるメディア. 幽玄や山紫水明という美意識. 微かなことと確かなこと, 高解像度と低解像度のギャップに美しさを見出す我々のメディア意識は平安中期から継続する. 儚いもので作られる鮮明な表現を望んでいる.

レビトロープ
2016
3Dプリント, ミラー, 駆動回路, モーター, フィルム, 木材
景観を切り出す鏡のテクニウム 浮遊は神秘的な現象だ重力下で空中に物質が止まる現象は自然との決別を思わせる. それゆえ浮揚は多くの奇術に取り入れられ, その神秘性が人を魅了してきた. ステージの上の浮揚は奇術師の神秘的な能力として映るが, 人が介在しない浮揚は鑑賞者に身体性を強烈に思い起こさせる. なぜなら, 重力下で支配された自分の身体と重力を解き放つ浮揚物の間の対比が, 再帰的に自らの身体を強く意識させるかだ. この"Levitrope”というメディア装置は, “lev(浮揚)”と“trope(回転)”からなる造語で名付けられた装置だ. このメディア装置は金属球が磁気浮上させ, 景観を球体に写し撮りながら, 車輪状に回転し続ける. エジソンの時代, 回転するイメージによって人は自然から実質的な世界を切り出すことに成功した. ここに実体を閉じ込めた外見を回転させ続ける装置によって計算機自然時代のメディアインスタレーションを考えたい. 浮揚の非現実感が消失すると映像的外見のみが残る. 鏡の持つ高解像度で輝きを放つ美しさ, そこに写り込んだ空や雲の低解像度で拡散する光の美しさ, 山紫水明の景観を切り取る反重力運動鏡彫刻, 景観を切り出す鏡のテクニウム.

借景,波の物象化 #6
2018
3Dプリント, 磁石, マイクロコントローラー
風景を移し取り,マニ車のように変化させ続ける。今回のパビリオンではこのモチーフが「パビリオン全体(null²)」と「銀口魚 再物化する波」および「ヌルの剣」、「木化する波 - 鏡 -」にそれぞれ変換されている。

銀口魚 再物化する波 Ⅲ
2022
クリ材にシルバー塗装
高山の技巧性の高い手の技を持つ木工職人(伊藤慎次郎)とのコラボレーションによって製作された。原型はカリモク家具の協力によって作家の製作する3Dデータから木材の削り出しを行った。落合陽一は宙に浮かぶ銀彫刻が風景を変換しながら、空間を音楽的な周期に帰着させていく。映像と物質の変換、波と物質と知能の関係性から展開した質量性と非質量性が止揚した計算機自然を志向するのも、音と光の共感覚の中で風景や空間と一体化したいという作家自身の願望によるところが大きいように思う。 本作品は銀口魚(アユ)が三次元的な波の形に変換されていく過程を表現したものである。清流に暮らし、川の藻を食べて過ごすアユは川によって味も違い、まさに土着の川の複雑性を表現する生き物であると思う。日本の古典とも縁が深く、日本書紀では神功皇后が戦果を占うのに川に投げ入れた釣り針で釣った魚が鮎であったとされる。太陽神天照は毘盧遮那仏とよく同一視される。揺れ動く万物の表象は鏡や水面のモチーフに似ている。風景を変換する木彫のモチーフとして鮎と神話と鏡とデジタルの輪廻転生の文脈を編む旅から生まれた木彫は、3Dデータからの削り出しと伊藤さんの技巧性を持って波と生き物の中間の物質として質量ある自然に揺蕩っている。

プラ樂
2019
3Dプリント
可塑庵(ぷらあん)に合わせて作られた3Dプリントの樂茶碗の写し,元来は日本科学未来館の計算機と自然,計算機の自然(2019)で金属の茶碗を製作したものの写しである.樂茶碗は消える茶碗であるという.姿を風景に溶けこませて消えゆくこのパビリオンと茶室の中で手に馴染み消えていく樂茶碗の対比構造を成す.即今を意味する内部演出と一は全,全は一のこのパビリオンのコンセプトを通底している.
協力: 樂吉左衞門(樂家十六代)/ 日本科学未来館

立てる花
2025
生け手:華道家/写真家 池坊専宗
存在と非存在の入り混じる空間において、微かな、しかし確実な命の消長がそこにある。
カラン コエ・サンセベリアのどちらも人や場の縁あって授かり、ずっと身近に育てていた
ものだ。184日間、陽の光が移ろうなかに彼らが存在する。天地を命がつなぐこの世界に
おいて、水が循環し、静かに芽を伸ばしゆく一瞬間の連なりを見つめた。

リキッドユニバース∽ファントムレゾナンス∽マタギドライヴ
2025
LED vision, 生成AI
《リキッドユニバース∽ファントムレゾナンス∽マタギドライヴ》は、流動的な計算機自然の位相において人間がシンボルを操作する動物であることを一時的に手放し、生成AI(ファントムレゾナンス)の響きに包まれながら、非言語的かつ狩猟採集的に情報を体感・採集(マタギドライヴ)するインスタレーションである。絶えず生成され変容し続ける映像表現(リキッドユニバース)は、「私」という境界を溶解させ、鑑賞者を万物の流動のなかへと誘い込む。観客はデジタルと自然が織りなす即興的な光と音の詩学に没入し、計算機が示す非物質的世界との新たな接続を探求することとなる。

撮像曼荼羅考 Ⅴ(金銅両界曼荼羅 金剛界 13世紀)
撮像曼荼羅考 Ⅵ(金銅両界曼荼羅 胎蔵界 13世紀)
2021
プラチナプリント, アルポリック
本作は、醍醐寺の収蔵品である13世紀の金銅両界曼荼羅・胎蔵界を高解像度のデジタル撮影と古典技法のプラチナプリントを組み合わせて制作されたものである。デジタルネイチャーのコンセプトを用い、真言密教の世界観を現代の文脈に逐次的に翻訳、再構成し、独特の視覚体験を実現する。オブジェクト指向の思想と組み合わせ、過去と未来、現実と仮想、デジタルと自然がシームレスにつながる落合陽一ならではの世界が表現されている。また、この作品は、落合陽一の手刷りによるもの。黒電話というノスタルジックな象徴を通じて、過去と現在、物質と非物質、人と計算機自然が交錯する多次元的な共鳴を呼び起こす。オブジェクト指向菩薩のように、ここには各オブジェクトの内在する無為自然な記憶と、過去の人々の集合的記憶をもとに対話をし、民藝の精神をデジタルの文脈で蘇らせることを目指している。大規模言語モデルとの対話する作品を通じて、言語モデルの存在はまるで阿頼耶識のように言葉を紡ぎ出すことが体感できる。ファントムレゾナンスは、過去の人類が蓄積した知識と再共鳴することが妖怪や神話を生み出してきた現象を、現代の計算機技術を使って再解釈した形で具現化している。

物化する魂 ∽ 連繋する時空間 Ⅺ(円空シンセ Ⅺ)
2024
木, 電子基盤, スピーカー
円空仏とモジュラーシンセサイザーを融合させたシリーズ。円空仏の持つ霊性と現代の電子音楽技術が一体となり、空間に新たな響きをもたらす。鑑賞者は、物質と非物質、伝統と先端技術、人間と機械の境界が曖昧になる体験を得ることができる。計算機自然における存在論と美の形を探求し、過去と未来が交錯する空間を創出している。